部活の定義

 

部活の定義

部活と勉強の両立について、あまりにも「残念な部活動」になっている人もいるようです。

部活動を否定するわけではありません。

「部活」はきちんとした「日常」があってこそのものである、ということをわかっていないことが嘆かわしいのです。

部活動に一生懸命打ち込んでいる子どもはたくさんいることでしょう。

中学生・高校生を長年見てきて、これまでずっと感じていたことですが、日本の、特に運動部の活動の長時間拘束には違和感があります。(今では随分減りましたが。)

子どもにとって「部活動」はいかなる存在かということを立ち止まって考えてみて欲しいと思います。

「スポーツ」の語源は「ディス・ポルト」。これは「船が停泊する港から離れる」ということだそうです。

日常活動(労働だったり、勉強だったり)から離れて、人はそこに余裕のある気持ちを開放します。

スポーツの競技は真剣勝負ですが、それは生きるための日常生活の必死な生真面目さとは一線を画すものです。

ヨーロッパでは、「高尚な気晴らし」とも呼ばれることがあるほどです。

ここで大切なのは、「日常」がきちんとなされることが基本で、そこで押し込まれた身体的、精神的に余ったエネルギーを発露する、あくまで「非日常」だということです。

部活三昧で疲れてしまって、子どもたち本来の「日常」つまり勉強がおろそかになるようでは本末転倒です。

トップアスリートになるごく少数の人は別として、普通の中学生の部活の意味は一生付き合えるスポーツと出会うこと(アメリカでは子どもの頃は季節ごとに複数のスポーツをやるのが普通です)、勝ち負けにとらわれず、毎日努力すること、一人ではできない友だちとの連帯を理解すること、目標を持つこと等だと思います。

やり過ぎて受験時に後悔する。

きつ過ぎてもう高校、大学ではそれをやらないといったことになる人をたくさん見てきましたが、それはあまりにも「残念な部活動」のあり方と言わざるを得ません。

「何を学ぶ」のかを意識すれば、そんなものからでも「学ぶ」ことはできます。

中学生として、高校生として、自分自身は部活動から「何を学ぶ」のかについて問い直し、「生徒」として過ごす日々の中にどのように位置づけているのかを振り返る。

例えば、勉強と両立したいからこそ、時間の使い方を上手になってやろうといった自分なりの有りようを考えてみて欲しいですよね。

そしてその時、前述したように「『スポーツ』はきちんとした『日常』があってこそのものである」ということを思い返すようにしてみましょう。

子どもの学びについて真剣に考える親御さん限定の説明会です。

**SNSも随時更新中**FacebookTwitterInstagramLINE

こちらの記事も役に立ちます

よく読まれている記事