思考力がないとどうなるか?
知識偏重教育の限界
社会や英語は暗記科目だと言う人がいます。
でも本当にそうでしょうか?
岡山県の公立高校入試問題では以下のような問題が出題されています。
次の表は、ナイジェリアとインドネシアの輸出額でみた上位6品目とそれらが輸出総額に占める割合を示しています。また、図は、国際的な原油価格と、ナイジェリアとインドネシアの国内総生産の推移を表しています。ナイジェリアの国内総生産を示すのは、図のAとBのどちらですか。また、そのように判断した理由を表と図から読み取れる内容をもとにして書きなさい。
確かに、社会は小学校や中学校では、暗記していれば解ける問題もあります。
理科も、生物・地学はほとんどが、化学も多くは「名称を覚える」学習になっています。
普段の定期考査や模試などは、思考問題ばかりだと平均点がとんでもなく低くなってしまう。そうならないようにするためには、ある程度知識を問う問題を出さないといけないのかもしれませんね。
例外的に物理だけが、理論を教えているように見えます。
そのためか、物理が不得意な子が多いです。
公立トップ校の朝日高校といえども、その平均点は、まるで全くやる気のない子がテストを受けたかのような結果です。
おそらく、物理を勉強している子には「何度解いてもできない、勉強の仕方がわからない」状態なのでしょう。
目の前のテストの点数を取るためだけの勉強をやっていても、やがて行き詰まります。
小学生、中学生の時にはそれに気づかず、高校生になって初めて壁にぶつかってから気づくのでしょう。
「とにかく覚えなさい。理解はその後でいいから」というシステムは、昔から続いています。
例えば九九。九九のお陰で、計算が早くなり、算数ができると感じるようになった人は多いでしょう。
(いや、そもそも何も感じないかも・・・)
しかし、九九が出来ることが、かえって数字を取り扱う頭脳にはマイナスになるのではないでしょうか?
頭の中で、数の概念や量感をイメージできる感覚を養うことが算数では、最も大切なことです。
九九は、数字の処理方法を「音」で記憶させてしまうので、この算数の大事な感覚を遠ざけることになります。
「立ち入らない境界」を作る
知識を覚えることは、別に悪いことではありません。
沢山の知識を覚えていれば、人に自慢できるだろうし、親も子どもが名称を沢山覚えていたら褒めてやりたくなるでしょう。
それでも、これからは今まで以上に大きな問題になってくると感じています。
名称を覚えることで満足し、それ以上を理解しようとする気持ちを無くしてしまう傾向があるからです。
言葉を覚えることで、無意識のうちに「立ち入らない境界」を作ってしまう。
名称を知っていることと、それを理解している事とは同義ではない、という認識を常に持つ必要があるのです。
目に見える学力だけでなく、目に見えない学力まで育てることは、決して簡単ではないと思いますが、日頃の積み重ねがやがて形となって表れるよう、我々は指導しています。
マニュアルがないと動けない
考える力が伸びているかどうかは、学校のテストだけでは判断がつきません。
基本的には授業でやったことしか出題されないからです。
教科書に書いてある手順でやれば解けるような問題では、暗記力によって、計算ミスさえしなければ満点が取れます。
塾に行くと、より多くの問題を解き、解き方のパターンをすっかり覚えてしまいます。
多くのパターンを覚えることで、多くの問題をより短時間でこなすことができるようになりますが、これも手順を暗記しているだけです。
そして、テストの点数が上がることによって、「勉強ができるようになった」と勘違いし、喜びます。
私は、これは非常に怖いことだと思います。
子どもだけでなく多くの大人まで、「手っ取り早く目の前の点数を上げること」に執着し、目の前の問題に対し、過去の問題で見たパターンを当てはめ、自分で考えることをしないで済ませようとする癖が及んでしまっています。
社会人でも
「この仕事はやったことがないから自信がないです。」
「それはマニュアルがないとできません。」
「マニュアルにはAという対応の仕方しか載っていなかったので、それ以外はどうしたら良いのかわかりません。」
などと、自ら行動できない人が多いです。
大人でさえもそうなのですから、ましてや子どもたちも同様です。
難しい問題でも、自分の力で解いてやろうという発想がありません。
考える癖を身につけるには幼少期から
初めて色板や積木に触れた子どもたちは、自分で考えた経験があまりないので、初めのうちは一つの問題にじっくり向き合うことをストレスに感じてしまうようです。
サンライズで出される図形の問題は、パターンに当てはめることができません。
手探りで道を進むように、自分で解き方を考えなくてはなりません。
今までパターン処理で問題を解いてきた子どもの脳には、それが非常に重い負担となります。
頭を使う問題に真剣に向き合ったことがない子は、できないということを経験していないため、そのような問題を前にした時にどうしていいかわからないのでしょう。
ああでもない、こうでもないと頭を試行錯誤させることに慣れていないので、思い通りに解けない自分に苛立つのです。
また、苛立つこともなく、「できない!できない!」という子どももいます。
考える力は、人間に元々備わっているものです。
筋肉と同じように、考える力は使わないと弱くなり、強い負荷を与えれば強くなります。
ランニングで鍛えた脚力が、サッカーや野球に生かされるように、自分で鍛えた力は算数に限らず、他の分野でも生かすことができます。
思考の癖は、一度固まってしまうとなかなか修正できません。
小さいうちから考える習慣を付けさせることは大切だと思います。