「わかる」のメカニズム

 

「わかる」のメカニズム

日本を代表する社会学者に鈴木孝夫という人がいます。

大学入試の評論文の問題にもしばしば採用されています。

その人が幼いときの思い出を書いた文章「ことばの社会学」の中に印象深いエピソードがありました。

小さい時から小鳥が好きだった私は、暇さえあれば山野に出かけて鳥を眺めていたので、鳥のさえずりを聞けば、何の鳥かすぐに言い当てられた。

ところが、「録音」された鳥の声を放送で聴くと、わからない時があることに驚いた。

よく考えてみると、山野での鳥の声は、長い経験からどの時期にどのあたりにいるのかという総合的な知識を動員して鳥の声を言い当てていたのだ。

「録音」の鳥の声はそのような情報のないものだからわからず、私は鳥の声を絶対的に言い当てていたのではなかったことに気付いた。

という経験です。

このことから、「わかる」というのはどういうことなのかを考えさせられますね。

「絶対的」ではなく「総合的」

国語や英語等の教科は、ある知識を一つだけ学んでも、その周辺の色々な情報が必要な教科です。

それのみ(絶対的)で「分かる」ことはない。

鈴木氏のエピソードのように「総合的にわかる」ということです。

そのためには、たとえ教科書に出ていなくても、次回のテストに出るかどうかに関係がなくても、日々の中でいろいろなことをストックしておく必要があります。

テストのためだけ(あるいはテスト週間だけ)勉強していく人は、いずれ高校生くらいになると、この「周辺知識」というものがないので、国語や英語の読解が難しくなっていきます。

高校だけでなく、中学校や小学校でも「当然知っている(習っている)であろう知識」はわかっているものとされ、説明もしませんよね。

china=中国?

例えば、これはどう訳しますか?

The doll’s country has a china wall.

chinaが「中国」では意味がおかしいですよね。

陶磁器(紅茶のカップなど)のことを”china”といいます。

18世紀末、中国の白磁を目標に作られた紅茶カップです。

カップの裏の印刷を見てみると「bone china」と書いてあります。

もちろんボーンはborn(生まれる)ではなく、bone(骨)です。

「牛の骨灰」を材料に本場中国製の「白」を目指したのです。

「周辺知識」があればわかる例です。

勉強したのに何もわからない

中学生、中には小学生でThere is ~.やThere are~.の文を習います。

初めて出てくるものですが、教材にはその使い分けについてきちんと説明が載っているはずです。

「There is ~.は~が単数のとき、There are~.は~が複数のとき」というように。

これを目にしたのなら、当然「わかって」問題を解いているだろうと思いますよね。

でも、勉強が苦手な子は、たとえ問題を解き終わっても、isとareの使い分けが説明できないでしょう。

「わからないけれど、問題の答えは正解した」という状態で終わらせるんですね。

「前提」としてThis isやThese areなどを既に習っているので、単数のときにis、複数の時にareということはわかるのですが、それも身についていなければ、つまずいていくのは当然のことです。

「助動詞」の勉強が終わったのに、「じゃあshouldの意味は?」と聞かれるとダンマリなのは「本当に『わかっている』の?」と思ってしまいませんか。

「塾に通っているから大丈夫」とも限りません。

一斉授業で、「わかる」を確認することはできないですよね。

私がしつこいくらいに「なぜそうなるの?」「この意味は何?」を聞きまくるのは、勉強の王道は、本当に「わかった」と言えるところまで勉強することだとわかるまで何回でも伝えるためです。

ここまでしているのはうちの塾だけかもしれません。

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