中学生になって様々な課題に直面する前に、これから挙げる3つの力を小学生のうちに身につけておくと勉強に困らないどころか、難関校・上位校にも合格できます。
中学校になって直面する5つの課題については以下のページをご覧ください。
経験値と習慣から育まれる自学力
中学校の上位層の特徴の一つに、「経験値が高い」ということが挙げられます。
- 歴史に非常に詳しい。(城マニア、三国志マニア、・・・)
- 新出漢字が読める。
- 植物・動物の名前や物質名・自然現象のメカニズムについて知っている。
etc.・・・
なぜ経験値が高いと、成績が良いのか。
それは、既知の事項が多いので、初めて学ぶ子よりも短時間で知識を習得できるからです。
特に理科、社会は時間がかからない分、国数英に時間を割くことができます。
そして、基本事項の理解に割く勉強量が少なくて済めば、より応用・発展事項に時間を割けます。
勉強量が少なくて済むから、成績が良いのではないです。
他の子が基本事項の理解に時間を費やしている間に、次のステップに進んでいるのです。
ここに、他の子との間に大きな壁ができるわけなのです。
努力によって、ある程度の差は縮められますが、最終的には、追いつかれないのです。
日々の生活の中で様々な経験を通して、小学校で習ったことがきちんと理解できている子は、子ども自身が自分のことを考え、自分で決断し行動できるようになる力=自学力が備わっている場合が多く、中学生になってから上位層、更には偏差値70以上の最上位層にまで伸びている印象があります。
また、学力には環境が大きく影響すると言われていますが、学習環境すなわち勉強に取り組むこと自体が当たり前である環境下では、子どもが勉強をすることに対して抵抗感が少ないです。
ただし、無理やりではそうはなりません。
勉強はこうするものだということが当たり前になる=習慣となることによって、更に学力を伸ばすことができます。
それから、よく勉強は量と質が重要だと言います。
集中して長時間勉強することが当たり前になる、演習量を多くこなす習慣。
これがないと、受験前に頑張っても、一時的で続きません。
かといって、いきなり多くは・・・無理ですよね。
中学生、高校生になって、突然増えた演習量の多さに戸惑う子は少なくないでしょう。
長いレンジで負荷をかけていくことが必要になります。
量だけを多くしても学力は育ちません。
質も必要不可欠です。
まずは勉強に対する考え方を変えていく必要があるかもしれません。
「一発屋」という言葉がありますよね。
”一発屋芸人”と言われている人もいます。
一発屋とは、1つの作品で輝きを放ったが、その後続くものが出せず、人々の記憶から消し去られてしまう人のことです。
この現象はどうして起こるのか?
つまり、その人が一世を風靡する作品を出せるのはその才能をきちんと内包していたということになります。
それなのに、その才能をその後発揮出来ないのはどうしてなのか?ということです。
答えは明白。
その人は、その1つの成功へ至ったプロセスを論理立ててやったわけではなく、なんとなくそこに至ったので、その成功を生み出すプロセスの公式を持っていなかったということでしょう。
だから、二度目はなかったということです。
もし成功への公式が自分で意識できていたものならば、次も同じプロセスをたどればいいわけですから。
そう、プロセスの公式がないのです。
テストの結果でも同じことがいえます。
数学は、はっきりとした準備がいるということがわかる科目です。
例えば、かけ算の下準備がない人は、かけ算の問題はもちろん、割り算、速さ、割合など、その後習う単元のほとんどが解けないこととなります。
だから、数学は自分でわかっているか、わかっていないのかがある程度認識できる科目です。
ところが、国語などは下準備(文法、漢字の意味が身についていて、解き方の公式を知っている)がたいしてできていなくても、なんとなくつまづいたところ以降は、自分で勝手に想像したらうまく合っているということがあり、点になることがあります。
これが、一発屋です。
成功した(解けた)ことへの公式(問題が解けるメカニズムの自覚)は何もありません。
だから、二度目は保証できないというのもわかるはずです。
幼い時から、よくできて、なんとなく解ってしまう人ほど注意する必要があります。
「なんとなくでも解ける」という成功体験が蓄積され、そこから抜け出せていないのです。
これを何度繰り返しても、自分の本番への確実性のある学力形成にはなりません。
特に、学校の定期テストで理屈もわからず丸暗記による点は論外です。
丸暗記は、そのままでは受験に通用しない勉強法だという自覚を持たせるべきです。
一つ一つの単元を積み重ねていけば、ある時期には自分で解けるようになるはずです。
それが実力です。
長いレンジで力を貯える下準備をしていかないと、一発屋で終わってしまいます。
難関校の合格ラインは、多くは50%~65%の間です。
半分少々とればいい。
だから、「そのときのまぐれに期待を残すような問題」を解くのではなく、「正しい手続きを踏めば必ず解ける問題」を解いて、本番でもそれを解いてくればいいのです。
国語力
国語力の中でも最大の関心事は、読解力ではないでしょうか。
読解とは、何が書いてあるのか、筆者の言いたいことは何なのか、文章を正確に読み取ることです。
更には、文章をまとめる力⇒要約力、
自分の考えを相手に伝える、文章を作る力⇒作文力
論理的に説明できる力⇒論理力
などが身につけば尚すばらしいですね。
まずは、ほとんどの子に不足している読解力を身につけることを考えていきましょう。
読解問題の解き方は、他の科目と同じです。
数学のように、解法・規則性・公式があると思ってください。
そして、そのルールを使いこなせるように演習を積み重ねることで、成績アップにつながります。
しかし・・・それでも読解問題が思うようにできない!となる場合があります。
原因は語彙力不足!
例えば、「利己」「卑下」「針小棒大」「具体的」といった熟語は小学生の国語の問題でも登場してきますが、その意味が解らないと問題が解けないこともあります。
小学校、中学校では国語で困ったことはないが、高校の現代文になると、途端に文章の意味が解らなくなって、何が答えなのか検討もつかなくなったという経験はありませんか?
その原因の多くは、語彙力にありますよね。
読解力が身に付く前提要素として、漢字・文法があります。
中学校の国語指導だけでは、小学校のように漢字や文法に対して十分に時間がとれません。
だから小学校のうちに、語彙力を高める必要があるのです。
試行力→思考力
これからの時代に必要な知的能力とは何でしょう?
一時期、脳科学が大ブームになりましたが、脳科学という学問は、コンピュータでいえばハードを研究する学問です。
例えば、脳科学を使って頭をよくするとか、記憶をよくするというのは、CPUの処理速度を上げるとか、ハードディスクの容量を大きくするとかいうことになるでしょう。
しかし、どんなに高性能のコンピュータを買っても、あるいはハードディスクを大きなものに替えたり、CPUまで入れ替えたとしても、中に入っているソフトが冴えないのでは話になりません。
それどころか、ソフトが入っていなければ、ただの機械にすぎません。
認知心理学という学問は、コンピュータのまさにソフトを研究する要領で、人間の知能や認知について研究する学問です。
認知心理学でいうところの頭のよさというのは、問題解決能力の高さということになります。
コンピュータにしても、いろいろなソフトが入っていれば、いろいろな問題に対応できます。
辞書ソフトが入っていれば辞書機能が使えるし、翻訳ソフトが入っていれば翻訳もできます。
いろいろなソフトを入れるに従って、いろいろなことができるようになります。
確かに考える材料としての知識は大切ですが、知識が多いだけでは、現実の問題解決は困難で、それを加工・応用できる推論能力が重要となります。
記憶力というのは、知識を増やすために重要なツールですが、知識をひけらかすだけでは、クイズ番組に強くなれたり、話のネタが豊富な人として人気を得たり、異性にもてたりするかもしれませんが、仕事ができる人間になる、つまりサバイバルという観点では十分な能力とは言えません。
そう、皆さんもお気づきのように、知識の記憶だけであれば、AIの方が優れているのです。
そこで、自分のもっている知識を頭の中で加工して、その場、その場で仕事に適したソリューションを出すことができる推論能力や思考能力が重要だとされるわけですが、現代社会では、頭の中だけで考えることには限界があると思います。
コンビニでは、試してみて、これはダメだという話になると、すぐに店頭から引き揚げるそうです。
こういうことを常にやっていると、結局、コンビニには売れる物しか置いていないという状況を作ることができます。
試してみて、生き残ったものだけを売っているからです。
もちろん、それでも飽きられるでしょうから、売れなくなることもあるかもしれません。
そうすると、次の商品が試されます。
どこの場所に置いたら、一番売れるか、も試すことでわかります。
理屈ではこうなるはず、頭で考えたことではこうなるはずと、どんなに頭がいい人や、どんなに権威がある人が言ったところで、その通りにならないのが、今の世の中です。
世の中は、試してみないとわからないことが多いのではないかと私は思います。
いいか悪いかあれこれ言う人がいますが、やってみなければわからないのは確かなことです。
ただし、この発想の場合、やってみてダメなら元に戻すという潔さも必要でしょう。
大事なのは失敗することで勉強になったと思えること。
しかし、やってみることで、結果は出ます。
ダメならやめればいいだけの話です。
世の中、みんな実験なのだと思えば、逆に失敗も怖くなくなります。
大事なのは、失敗を織り込み済みにして、その後のフォローができたり、一度やった失敗を二度やらないとか、失敗することで勉強になったと思えることです。
私は、あれこれと頭で悩んでいるより、実際の行動に移して、答えを出す能力のことを「試行力」と呼んでいます。
そして、これからの時代は思考力より、試行力が大事なのだと思います。
真の理系人間というのは、どんな偉い学者や経営者の言うことでもうのみにしたり、信者になったりせずに、試してみないとそれが正しいかどうかわからないという実験的な考え方の持ち主です。
ニュートンを疑い、いろいろな実験を重ねなければアインシュタインは現れない。
誰の説かどうかより、試す価値があるかどうかで判断できなければ、サバイバルなどおぼつかないのです。