読書をしているのに、国語が伸びない子に足りないもの

本をよく読む子なのに、国語のテストになると点数が安定しない。
面談でも、こうした相談を受けることがあります。
物語は好き。読むスピードも遅くない。家でもよく本を手に取っている。
それなのに、読解問題になると急に点が落ちる。算数の文章題でも、条件を読み落として式を間違える。
保護者からすると、「あれだけ本を読んでいるのに、なぜ」と感じると思います。
一般的には、読書量が多ければ国語力もついてくると考えられています。たしかに、読書量が多い子は言葉に触れる回数が多く、長い文章に対する抵抗も少ない傾向があります。
ただ、現場で子どもたちを見ていると、読書量が多いことと、国語の問題を正確に読めることは、少し別の話だと感じます。
今回は、読書をしているのに国語が伸びにくい子に、何が足りていないのかを考えてみます。将来、岡山朝日高校のような上位校を選択肢に入れたい家庭にとっても、早めに見ておきたい話です。
読書をしていること自体は、もちろん良いこと
まず誤解のないように言っておきたいのですが、読書をしていること自体は良いことです。
本が好きで、自分から手に取る。
これは簡単なことではありません。
塾に来ている生徒の中にも、本の話をさせると止まらない子がいます。読んでいる本の続きが気になって、宿題より先に読み終えてしまったという子もいます。
そういう子は、長い文章を見ても「読むのが嫌だ」という反応をしません。これは、読書量が少ない子と比べると、はっきりした違いです。
ですから、この記事は「読書をやめて問題演習をしましょう」という話ではありません。
読書は続けたうえで、もう一つ見ておきたいことがある、という話です。
ただし、読書量と読解力は同じではない
ここからが本題です。
読書量が多いのに、国語の点数が安定しない子を見ていて感じるのは、読書量と読解力は同じではないということです。
たとえば、月に何冊も本を読む子がいます。読むスピードも速く、感想を聞くと「面白かった」「主人公がかわいそうだった」と、すぐに答えが返ってきます。
ところが、物語文の設問で、
「主人公がこのときどう思ったか、本文の言葉を使って書きなさい」
と聞かれると、手が止まることがあります。
感想は言えるのに、本文のどこにその根拠があるかを指さすことができない。
ここで、読書と読解問題の違いが見えてきます。
読書は、物語の世界に入り込んで楽しむものです。
一方、国語の問題を解くときは、文章に入りながらも、同時に少し引いて「この一文は何を言っているのか」を確かめる読み方が求められます。
似ているようで、頭の使い方が違います。
物語を楽しむ読み方と、問題文を読む力は違う
物語を楽しむときは、多少読み飛ばしても話の筋は追えます。登場人物の気持ちも、想像で補いながら読み進めることができます。
それが物語を読む楽しさでもあります。
ところが、問題文を読むときは、想像で補ってはいけない場面があります。
たとえば、「AとBのどちらの立場に近いか」という設問で、本文には書かれていない前提を勝手に足してしまう子がいます。
「たぶんこういうことだろう」と、自分の解釈を先に置いてしまい、本文に戻って確認しないまま答えを書いてしまうのです。
物語好きの子ほど、この読み方が出ることがあります。
読み慣れているからこそ、細部を飛ばしても大筋はつかめてしまう。
そのつかみ方が、そのまま問題文にも出てしまうのです。
「読めているつもり」で止まっている子がいる
面談で保護者から、
「うちの子、読むのは速いんです」
と言われることがあります。実際、読むスピード自体は速い子が多いです。
ただ、読んだ後に、
「今の話、誰が何をした話だった?」
と聞くと、詰まってしまう子がいます。
これは、文字を目で追うことと、内容を理解することが、途中で分かれてしまっている状態です。
本人の中では「読み終わった」という感覚があります。だから、本人は読めているつもりでいます。ここが難しいところです。本人が困っている自覚を持ちにくいのです。
保護者が「読解力が弱いのかもしれない」と気づくのは、たいていテストの結果を見てからです。
でも実際には、日々の読み方の中に、その兆候は出ています。
語彙が足りないと、文章の意味を取り違える
読解でつまずく理由の一つに、語彙の不足があります。
文章の中に知らない言葉が出てきたとき、意味を確認せずに読み流してしまう子がいます。
たとえば、
「彼は淡々とその話を続けた」
という一文があったとします。
このとき、「淡々と」の意味があいまいなまま読んでいる子がいます。すると、その場面の雰囲気を読み違え、後の設問で登場人物の気持ちを大きく外してしまうことがあります。
物語であれば、多少意味を取り違えても、話の大筋についていけることがあります。
ですが、説明文や論説文では、一つの言葉の意味を取り違えると、その後の話の流れまでずれてしまいます。
語彙は、読書量が多ければ自然に増えるとは限りません。
意味を確認しながら読む経験があって、少しずつ使える言葉になっていきます。
指示語・接続語・主語述語を追えているか
読解問題で差がつくところの一つが、指示語と接続語です。
「それ」「これ」が何を指しているのか。
「しかし」「つまり」の前後で、話がどう変わったのか。
そこを本文に戻って確認できるかどうかです。
たとえば、「それは違う」という一文が出てきたとき、「それ」が何を指しているのかを確認せず、次の行を読み進めてしまう子がいます。
その結果、設問で「それ」の内容を問われたときに、まったく違う場所を指してしまいます。
物語を読んでいるときは、多少あいまいでも話についていけるかもしれません。
でも、設問ではこの一つのずれが失点につながります。
主語と述語の対応も同じです。
長い一文になると、主語が途中で入れ替わっていることに気づかず、誰が何をしたのかを取り違えてしまう子がいます。
これは読むスピードの問題ではありません。
文のつながりを追う読み方をしているかどうかの問題です。
説明できるところまで読めているか
「読めているかどうか」を確認する一番わかりやすい方法は、読んだ内容を自分の言葉で説明できるかどうかです。
塾では、物語文を読んだ後に、
「今の場面、誰が何に困っていたと思う?」
と聞くことがあります。
読めている子は、多少言葉がつたなくても、自分なりに説明しようとします。
一方、読めていない子は、「えっと……」と止まってしまい、本文の一文をそのまま読み上げようとします。
説明できるということは、内容を自分の中で一度整理しているということです。
ただ文字を追っているだけでは、この整理が起こりません。
本をたくさん読んでいるかどうかだけでなく、読んだ後に自分の言葉で振り返る経験があるかどうか。ここが読解力には関わってきます。
国語力は、算数の文章題や中学以降の学習にも関わってくる
読解力の差は、国語の点数だけに出るわけではありません。
算数の文章題でも、条件を読み落として式を間違える子がいます。
たとえば、
「二人でおこづかいを出し合って」
という一文を読み飛ばし、片方の金額だけで計算を進めてしまうような間違いです。
これは計算力の問題ではなく、問題文を正確に読む力の問題です。
中学に入ると、理科や社会でも、資料や長い設問文を正確に読む場面が増えていきます。
内容は分かっているのに、問われていることに正確に答えられない。
そういう状態が起こることがあります。
小学生のうちは、この差がまだ大きく点数に出ないことがあります。
しかし、学年が上がるにつれて、問題文自体が複雑になり、読解力の差が得点差として出やすくなります。
岡山朝日高校を将来の選択肢に入れるなら、国語を後回しにしない
岡山朝日高校のような上位校を目指す場合、国語は算数や理科ほど早くから意識されない教科かもしれません。
ですが、入試問題を見ると、長い文章から正確に情報を読み取り、条件を整理したうえで答える力が求められます。これは国語に限った話ではありません。
読書が好きな子は、長い文章への抵抗が少ないという点では、良いスタートを切っています。
ただ、その好きな気持ちだけで、上位校の問題文を正確に読み切れるようになるとは限りません。
物語を楽しむ読み方から、一歩踏み込んで、言葉の意味や文のつながりを確認しながら読む経験を、早い段階から積んでおきたいところです。
読書好きだからこそ、読み方をもう一段深く見る
読書が好きなことは、間違いなく強みです。
長い文章を嫌がらず、言葉に触れる量も多い。
その良さがあるからこそ、次に進める部分があります。
ただ、その強みを国語の点数につなげるには、物語を楽しむ読み方だけでは足りないことがあります。
言葉の意味を確かめながら読む。
指示語や接続語の前後を追う。
読んだ内容を自分の言葉で説明する。
こうした経験が加わると、読書で触れてきた言葉が、少しずつ国語の力にもつながっていきます。
本の冊数をさらに増やすことよりも、今読んでいる本の一場面を、親子で「これ、誰のこと?」と確認してみる。
それだけでも、読み方は少し変わってきます。
読書好きな子ほど、読み方をもう一段深く見てあげる。
その積み重ねが、国語の問題を読むときにも少しずつ出てきます。

