岡山県立高校の入試問題より
次の文章を読んで、問いに答えなさい。
手紙が来なくなった、とつくづく思う。ここに私が手紙というのは、人がペンや筆で書いた葉書や封筒のことだが、そういうものが本当に来なくなった。毎日、相当数の郵便物が届けられるが、中に手紙があることはめったにない。
たまに全部筆で書いた葉書や葉書が来る。そういうときは生きた人間に触れたようで、二度も三度も読む。文章ばかりでなく、文字、インキの種類、便せんや封筒の選び方までその人の人柄がにおってくる気がする。
その昔、私が二十代のころは、郵便物が下宿住まいの私に来ることはめったになかったが、来た手紙はどれもそういう手紙ばかりだった。書き手はほとんど友人たちだが、彼らはその中に、ふだん顔をつきあわせるときは言えないようないろんな思いをこまごまと書いてきた。そういう手紙が来た日は、それだけで一日が明るくなった。だから、当時のそれらの手紙だけは、今も大事に保存してある。
私が手紙を大事にするのは、手紙というものは、顔つきあわせていたり電話では言えない、その書き手の奥深い思いが行間からにじみ出ているからだ。愛するなんてことばは日ごろ人は恥ずかしくて相手に言えないが、文章の中ではその思いさえことばで表せる。
それにしても、日本人はなんと手紙を書かなくなってしまったことか。用事は電話ですます。それはそれで結構だが、手紙を書かなくなったという現象には別の理由がありそうだ。
手紙を書くとき人はひとりである。相手を頭や心に思い浮かべつつその人に向かって書く。孤独の中で人とあるいは自分と会話をかわすという心の習慣が失われてしまったのかもしれぬ。
私はやはり、だれもが自分の手で手紙を書く習慣を取りもどしてもらいたい。私はその昔、便せんの上に涙がこぼれてにじんだらしい痕のある手紙をもらったこともあるが、手紙にはそういうことを含めて書く人の全部が出るのである。そんな手紙は、人が生きた最も貴重なしるしだ。人生の痕だ。私の母は手紙などめったに書かなかったが、それだけに母から鉛筆をなめながら書いたとおぼしき誤字、当て字だらけの手紙が来ると、見ただけで胸がつまった。その母も亡くなった今、私にはそれは最も貴重な母の形見である。
出典 中野孝次「生きたしるし」
一番後ろから2行目あたりをご覧ください。
これが設問になっていました。
「なぜ筆者は胸がつまったのか」という問いでした。
これを、ある塾さんで中学生に解かせたそうですが、全員同じ答えになったそうです。
岡山トップ校と言われる朝日高校を狙っているような子でも、です。
何と書いたか。
「母は認知症だったから」
本当に!?と思うでしょうが、この答えだったそうです。
「なぜその答えになったのか?」と聞いてみたそうです。
当然小説、文章ですから、証拠を探せというのが学習の方法論ですよね。
どこに証拠があるの?というと、
「えんぴつを舐めながら」
「誤字、当て字だらけ」
そう、正解なんです。
答えを導き出す鍵となる場所は、あっているんです。
あっているんですが、でも答えは「認知症」になるんです。
それは、明治は、特に女性が学校に通って読み書きをあまり習うことがなかった。
いわゆる文盲ですよね。
「文盲の方が多かった」という事実を今の子どもたちは知らないんですよね。
ではそういうところからも、全部学校で教わることですか?というと、それはちょっと違うような気がします。
つまり、日々の生活の中で、そういうところにアンテナを向けさせることができる大人は、それはお母さんじゃないですか。
お父さんではない、塾でも学校の先生でもない。
一番お子さんと接している時間が長いお母さんです。(※ お母さん以外の場合もあるでしょう。)
お母さん自身が子どもたちのアンテナを磨く役目をしなければならないんじゃないですか。
例えば文盲であるというのは、テレビドラマであるとか、映画であるとか、そういった諸々の中には必ずどこかに触れているはずなんです。
でも、アンテナが立ってないから、そのことがそのままスルーされてしまう。
そうじゃないでしょ。
子どもたちの日々のアンテナをよく立てるということが、お母さん、あなたの役目なんです。
家でちょっとそのあたりを注意して下さい。
一対一対応で覚え物を山のように覚えていかなければ知識が習得できないという、そういう状況に育ててしまうと、子どもたちの方がかわいそうじゃないですか。
文盲だという一つがあれば、答えに行きつくことができる。
それは決して机で鉛筆を持って勉強して得られる知識ではないと思うんです。
このことは、保護者セミナーでも繰り返しお話していますが、日常の中で得られる知識を磨いてあげるということが、必要ではないでしょうか。