前回は、英語に対するアンテナの張り方についての話でした。
よくある例として、「アンテナを張るようにさせる」ために、「勉強のために」とか「点数につながるからやろう」などと「勉強しようぜ」という空気を作ろうとするとうまくいきません。
以下は有名な文ですので、御存じの方もいらっしゃるかと思います。
Too much travel, too much variety of impressions are not good for the young, and cause them as they as they grow up to become incapable of enduring fruitful monotony.
アメリカの心理学者Bertrand Russell(バートランド・ラッセル)の談話から
最後に「fruitful monotony」という言葉があります。
これは、学習に対するアメリカの心理学者の論文なんですが、基本的には、「刺激を与えすぎると無感覚になる」言いたいことは、そういうことです。
それを現実、我々の日々接する問題に言い換えると、「勉強、勉強、勉強」という刺激を与え続ける、「点を取れ、点を取れ、点を取れ」「中間点を取れ、期末点を取れ」これも刺激です。
これを与え続けると、当然無感覚になる。
でも、本質的な学習というのは、ものすごく地味なんですよ。
イベントがあって、一瞬盛り上がって、わあ~となって勉強する、で、しばらく経って、また勉強しない。
こういう繰り返しは、中学校の高校入試システムに対してはまだ何となく対応できるのですが、大学受験ではもう歯が立ちません。
ですから中学生のうちにそれを修正しておかないと、高校生になって大学受験に耐えうる学力形成をすることができる子どもにならないのです。
高校生の勉強は、非常に地味な作業です。
我慢のいる作業です。
それをさせないと高校生の学力は溜まりません。
で、その習慣を身につけさせるのは、小学生、中学生のうちです。
中間、期末テストの前に、イベント的にバーっと集中してやるというのは、たくさんの塾さんがやっています。
そのこと自体が悪いわけではないのです。
そのこと自体を否定している訳ではないのですが、そのことだけで終わってしまっている方がほとんどなので、それはちょっと問題が出るよ、という風には思っています。
プラスアルファのことを継ぎ足しさえすれば、修正できるのになあと思っていますが、結局、その刺激物をあまり過剰に与えないということ、それが大学受験を突破できるレベルに育て上げる一つのキーワードではあると思います。
ちなみに上記のラッセルの話の前後の文も非常に興味深いです。
A child develops best when, like a young plant, he is left undisturbed in the same soil.
訳:子どもというものは、若い植物と同じで、同じ土壌でいじくられないで放っておかれるとき、もっともよく成長します。
I do not mean that monotony has any merits of its own; I mean only that certain good things are not possible except where there is a certain degree of monotony.
訳:単調であることがそれ自体良いと言っているのではなく、ただある種の良きものはある程度の単調さがあるところ以外では育たない、と言いたいのです。
続きはこちら↓