生涯を通じて役に立つ「学びへの姿勢」について

 

生涯を通じて役に立つ「学びへの姿勢」

受験も普段の勉強も本人の意思次第

中学受験シーズンが近づいてくると、駆け込みの入塾希望の相談が出てきます。

子どもの意思はともかく、お母さんがお子さんの受験を希望されて、「今から対策できませんか?」という内容なのですが、私の見解としては、中学受験は誰もが経験すべきものではありません。

もちろん、早熟な子は中学受験をすればいい。

でも、親が子どもの意思を尊重せずに受験を無理強いするのは良くないし、学力レベルが合格圏に到達していない子どもを何が何でも入学させたい、という願望は、残念ながら当塾では叶えられません。

もともとサンライズでは岡山朝日を第一志望に高校受験を目指す、という子が多いです。

ただ、その中で岡大附属中など中学受験希望者がいれば応援します、ということ。

巷では中高一貫教育の優位性が盛んに言われていますが、その限りではありません。

高校受験から難関大学に入った卒業生も大勢います。

目先の点数よりも大切なこと

受験だけでなく、勉強そのものも周囲に言われて仕方なくやるのと、自分から学ぼうとするのでは質が異なってきます。

今は学びの場面でも効率が重視されがちですが、実は一つの事柄に興味を持つに至るには、その背景や関連エピソードなど一見無駄に思えるようなことがカギを持っています。

例えば奈良の東大寺南大門の金剛力士像ですが、左右一対で「阿吽(あ・うん)」を表していて、表情とポーズが違います。

テスト対策だけなら「金剛力士像」という名前さえ知っていれば良いのですが、阿吽の話を知っておくと記憶も定着しやすいし、知識を深化させていく時にも役立ちます。

社会に限らず、何か一つのことを語る時に、背景などを知らずに語ることはできません。

大人になると、そんな場面に度々遭遇することでしょう。

目先のテストの点数稼ぎ目的だけでなく、広い視野を持って物事を考えられるような能動的な学びの積み重ねが、自分で考えることができる人間を育てます。

何事にも目的意識を持って取り組む

最近よく感じるのは、教育の差は社会人としてのスキルの差に直結するということです。

自分ができないことを「教わっていないから」と責任転嫁する人は、目的意識も希薄で考えて動こうとしません。

何のために働くのか、何のために勉強するのか、わからないまま漫然と指示を待つだけ。

実際のところ、仕事をすることは社会貢献です。

我々は社会から多くの恩を受けています。

皆それぞれの役割で仕事をしているお陰で生活ができます。

お互いが役割を持ち、支え合っていくには感謝と恩を返す気持ちが大切です。

ただ、全ての恩を返すことはできないので、誰かから受けた恩を別の人に送る形で恩を社会に返すのです。

選ぶ仕事は自分の得意なことであったら理想的ですよね?

誰でも一つくらいは得意なことがあるでしょう。

勉強を通じて、得意なことを探すこともできます。

社会に出ても考えて行動できる人は、変化の激しい時代にもあらゆる面で強い。

大人になったらどんなことをしたいか、そのために今どんな勉強をすべきなのか。

立ち止まって考えてみることで、新たな世界が広がるかもしれません。

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